居場(chǎng)所のない感じ
蒸し暑い空気が、寮の中に漂う。
蒸し暑いなぁって、ルームメイトがそう文句を言っている。
でも自分がそう思わない。
全然そういうのは感じてこない。
いつものようにブルーだった。
どんな気分だって聞かれたら。
きっと『この世界には自分の居場(chǎng)所にいないって思うんだろう。
もう電子バイオリンを使ったのにね。
音の伝達(dá)する箱がなくて。
電力も入れてない。
ただ空気を通じて、四分の弦の音を奏でる。
その音は一般的に言えば。
所詮キーボードを打つ程度の音しか出ない。
弱音機(jī)が付いた音よりか弱くて、自分の個(gè)性を極めて圧制しているとはほぼ同然。
それなのに、ただ、屆きたい。
他人に認(rèn)められたい。
そういう小さな願(yuàn)望を持っている。
でも向こうはその後そういった。
『ドアを閉めて!バイオリンってウザイだよ。』
『……』
私はしばらく沈黙した。
『てめぇ!ドアを閉めろ!』
その後は大叫ぶだ。
『……コン。』
私は何も言わずに、ドアを閉めてた。
それでも、かすかな向こうの聲が聞こえる。
私に罵っているようだ。
別に他人に認(rèn)めてくれたくないって言ったらきっとうそだ。
友達(dá)や先生にも私に『他人の目線を無(wú)視して、お前がすべての人に認(rèn)められないよ。』
て何度も何度も言われたが、まだ全然変わってない。
別に自分が変わりたくないわけじゃないが。
でも蕓術(shù)というものは。
小説や美術(shù)、そして音楽や言語(yǔ)など。
いかに様々な領(lǐng)域にあるとしても。
その中の通りは簡(jiǎn)単に変わらない。
すべては表現(xiàn)力の技術(shù)だ。
その點(diǎn)があったら、もちろん進(jìn)む時(shí)は他人から屆けてくれた評(píng)判は大切なんだ。
適當(dāng)の褒め言葉は疲れた心をしみじみと治癒できる。
そして新しい前向きのメンタル的なエネルギーを得て、前に進(jìn)むこと。
でも、他人からのネガティブな感情やコメントが多い場(chǎng)合にも、その人の心が落ち込んで、弱くなる可能性もある。
最も気まずいのは。
せっかく何十時(shí)間かけて絵を完成したところが、自分が完成した作品をネットで見(jiàn)せれば見(jiàn)せるほど、『なんで誰(shuí)も來(lái)ないの』『いいねが足りない!』
コメントが全然ないって感じられる。
音楽も同じなんだ。
前には自分が楽しむこと。
今は逆になって、他人に罵られて、遠(yuǎn)慮せざるを得ないものになっちゃった。
実に風(fēng)刺的な話だった。